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摘要:日本宗教历经原始社会、古代、中世、近世、近代直到现在,与漫长的历史步伐一同进行了不断地变迁,创造了多彩的宗教文化。据调查显示,超过八成的日本国民都受到宗教直接或间接的影响。在日本,宗教的多元并存以及以礼仪为中心的民族宗教的存在是日本宗教的显著特征。
要旨:日本の宗教は、原始社会から古代、中世、近世、近代を経て現在に至る、長い歴史の歩みと共に多彩な展開を遂げ、豊かな宗教文化をつくりだしてきた。調査によると、八割を超える日本国民が、宗教の直接、間接の影響を受けている。日本では、宗教の多元的併存と、儀礼中心の集団の宗教である民族宗教が存続していることは、日本宗教の著しい特徴である。
キーワード:宗教 特色 日常生活 影響力 多元化
日本の宗教は、外国人から『宗教の博物館』と呼ばれるように、世界の国々の中でも例を見ないほど多種多様である。日本の宗教は、原始社会から古代、中世、近世、近代を経て現在に至る、長い歴史の歩みと共に多彩な展開を遂げ、豊かな宗教文化をつくりだしてきた。
日本文部省の『日本人の国民性』調査によると、宗教を信じている人は国民の約三四パーセント、信じてはいないが宗教を大切だと考えている人は約四九パーセントで、八割を超える国民が、宗教の直接、間接の影響を受けていることが分かる。宗教は、日本人の生活に、深い係わりをもっている。今日の日本には、仏教、神社神道、キリスト教、新宗教など、様々な系統の四百を超える宗教があり、その宗教活動は、社会全体に大きな影響を及ぼしている。
ここで、日本人の日常生活と密接な関係を持っている宗教をおおよそに見てみよう。
1、仏教は、最大の宗教勢力で、日本国民の大半は、仏教の檀信徒であるが、仏教各宗は、もっぱら儀礼によって国民生活と結びついており、宗教としての影響力は、あまり強くない。
仏教は、六世紀頃日本に伝えられた。当初朝廷では容仏、排仏の二派が争ったが、聖徳太子の三宝興隆の詔によって天下に流通した。『十七条憲法』を制定し、法隆寺、四天王寺等を建立した太子によって日本仏教の基礎は確立し、大化改新後、ますます盛んとなり、僧尼の数も増加して僧尼令が公布され、仏教の国家統制が行なわれた。古代仏教は上層階級から始まり、現実的な息災延命、病気平癒、雨乞いなど求福の祈祷と結びついて呪術的傾向をもち、また日本の祖先崇拝と結合し、古来の墳墓は寺院の建立に変わり、火葬などの習慣も移入された。
奈良時代は古代仏教の最盛期で、唐の仏教に刺激されて教義、教相を具えた宗旨を主張するものが出た。いわゆる南都六宗の山論、誠実、法相、倶舎、律、華厳の各宗である。国家意識が強まり、国家隆盛、人民福利のもとは仏教にあるとされ、『金光明教』などの護国思想が取り上げられたが、必ずしも一般によく理解されず、写経を中心とし、写経自体に功徳があると考えられた。
平安時代には、最澄が比叡山に天台宗を開創し、空海は高野山に真言宗を独立させた。奈良仏教が都市の俗塵にまみれたのに対して山修山学を志したが、最澄も空海も国家の安泰と鎮護を念願としたため、本質的には奈良仏教と同一基盤に立つものであった。
中世には新しい仏教運動がおこり、古代仏教が単なる輸入仏教であったのに対し、主体の理解の上に立った新仏教が展開された。従来の貴族社会が武士社会へと移行し、末法思想をいただいた庶民が浄土教を熱烈に信仰した時代を背景に、法然が浄土宗を、その弟子親鸞が浄土真宗を開創したのを始め、時宗、融通念仏などが熱心に弥陀の信仰を説いた。禅は新興の武士階級に歓迎され、栄西の臨済宗、道元の曹道宗が開かれた。やや遅れて日蓮開創の日蓮宗が生まれた。
明治に入って神仏判然令が誤解されて、復古主義者による廃仏毀釈を持たらした。この間にも仏教の改革を企図するものも現れ、海外の新思想を摂取して近代宗教へ脱皮しようとの動きもみられ、特に仏教研究の進歩は目覚しいが、現在では既成仏教として葬式、法要に終始する保守的態度が強く、むしろ分派的存在である新興宗教に現代仏教の特色をうかがうことができよう。
2、それから、 神道は日本固有の民族的信仰で、日本民族に行なわれる天照大神を中心とする宗教である。日本民族の全生活体験から生まれ育った神道には、仏教の釈迦、キリスト教のイエスに当たる教祖と呼ばれる特定の個人はいないが、『古事記』『日本書紀』などの神典が教典に相当する。
神道は自然崇拝、祖先崇拝、多神崇拝などの日本の民族信仰と、シャマニズムの要素が混じり合って発達したものと思われる。神々は必ずしも祖先とは限らず、山岳、河川、風雨などを神とする神社も多い。山川草木などの自然物までも人間と共にイザナギ、イザナミ二神の生み育てたものとし、神と人間、人間と自然物、自然物と神と言うように関係づけるのは、生みの親であり、子であり、同胞であると言う観念と一致する。神道で神と人間が親子として説かれる観念もここから出発している。神道における神は唯一絶対の神として現れるのでわなく、八百万の神として現れるのである。
神仏習合がさらに進んで、神と仏の関係について本地垂迹説が説かれるようになった。日本の神々には、それぞれ本地仏があり、インドの仏、菩薩が日本に跡を垂れ、権に現れたものが、日本の神々とする説である。こうして、神道と仏教と言う異なる宗教が、決定的な衝突もなく結びつき融け合うことができたのは、ほかの宗教に寛容な仏教の性格と、民族宗教を受けついだ神道の特質によるものとみられる。神社神道は、国民の大半を氏子崇敬者と見なしているが、国民生活との繋がりは、神社の祭りや現世利益が中心で、その影響力は限られている。
3、キリスト教全体の信者数は、国民の一パーセント足らずに過ぎない。このようにキリスト教は、宗教としては小さな勢力に留まっているが、日本社会の近代化、現代化に、大きな思想的、文化的影響を及ぼしている。
4、新宗教は、神道系、仏教系、諸教に分かれ、全体として、活発な行動力を持つ有力な社会勢力となっている。新宗教の中では、法華系が最も有力で、神道系がここに続いている。有力な新宗教は、数十万、数百万の国民を組織しており、その動きは、社会全体に大きな影響を与えている。
まとめ
今日の日本の宗教は、既成仏教、神社神道、キリスト教、新宗教の四つの系統に大きく分けることが出来る。日本社会には、こういう様々な系統の四百をこえる宗教が併存しており、また原始農耕社会に始まる集団の宗教の骨組みを保ち続けている神社神道が存在している。宗教の多元的併存と、儀礼中心の集団の宗教である民族宗教が存続していることは、日本宗教の著しい特徴である。
参考文献:
[1]村上重良 日本の宗教岩波新书 2009,11
[2]梅元猛 世界中的日本宗教四川人民出版社 2006,8
[3]宫家准 日本的民俗宗教南京大学出版社2008,2
作者简介:刘宁(1979-),女,汉族,西安工业大学外语系,研究方向:日本文化及日语语言文化
要旨:日本の宗教は、原始社会から古代、中世、近世、近代を経て現在に至る、長い歴史の歩みと共に多彩な展開を遂げ、豊かな宗教文化をつくりだしてきた。調査によると、八割を超える日本国民が、宗教の直接、間接の影響を受けている。日本では、宗教の多元的併存と、儀礼中心の集団の宗教である民族宗教が存続していることは、日本宗教の著しい特徴である。
キーワード:宗教 特色 日常生活 影響力 多元化
日本の宗教は、外国人から『宗教の博物館』と呼ばれるように、世界の国々の中でも例を見ないほど多種多様である。日本の宗教は、原始社会から古代、中世、近世、近代を経て現在に至る、長い歴史の歩みと共に多彩な展開を遂げ、豊かな宗教文化をつくりだしてきた。
日本文部省の『日本人の国民性』調査によると、宗教を信じている人は国民の約三四パーセント、信じてはいないが宗教を大切だと考えている人は約四九パーセントで、八割を超える国民が、宗教の直接、間接の影響を受けていることが分かる。宗教は、日本人の生活に、深い係わりをもっている。今日の日本には、仏教、神社神道、キリスト教、新宗教など、様々な系統の四百を超える宗教があり、その宗教活動は、社会全体に大きな影響を及ぼしている。
ここで、日本人の日常生活と密接な関係を持っている宗教をおおよそに見てみよう。
1、仏教は、最大の宗教勢力で、日本国民の大半は、仏教の檀信徒であるが、仏教各宗は、もっぱら儀礼によって国民生活と結びついており、宗教としての影響力は、あまり強くない。
仏教は、六世紀頃日本に伝えられた。当初朝廷では容仏、排仏の二派が争ったが、聖徳太子の三宝興隆の詔によって天下に流通した。『十七条憲法』を制定し、法隆寺、四天王寺等を建立した太子によって日本仏教の基礎は確立し、大化改新後、ますます盛んとなり、僧尼の数も増加して僧尼令が公布され、仏教の国家統制が行なわれた。古代仏教は上層階級から始まり、現実的な息災延命、病気平癒、雨乞いなど求福の祈祷と結びついて呪術的傾向をもち、また日本の祖先崇拝と結合し、古来の墳墓は寺院の建立に変わり、火葬などの習慣も移入された。
奈良時代は古代仏教の最盛期で、唐の仏教に刺激されて教義、教相を具えた宗旨を主張するものが出た。いわゆる南都六宗の山論、誠実、法相、倶舎、律、華厳の各宗である。国家意識が強まり、国家隆盛、人民福利のもとは仏教にあるとされ、『金光明教』などの護国思想が取り上げられたが、必ずしも一般によく理解されず、写経を中心とし、写経自体に功徳があると考えられた。
平安時代には、最澄が比叡山に天台宗を開創し、空海は高野山に真言宗を独立させた。奈良仏教が都市の俗塵にまみれたのに対して山修山学を志したが、最澄も空海も国家の安泰と鎮護を念願としたため、本質的には奈良仏教と同一基盤に立つものであった。
中世には新しい仏教運動がおこり、古代仏教が単なる輸入仏教であったのに対し、主体の理解の上に立った新仏教が展開された。従来の貴族社会が武士社会へと移行し、末法思想をいただいた庶民が浄土教を熱烈に信仰した時代を背景に、法然が浄土宗を、その弟子親鸞が浄土真宗を開創したのを始め、時宗、融通念仏などが熱心に弥陀の信仰を説いた。禅は新興の武士階級に歓迎され、栄西の臨済宗、道元の曹道宗が開かれた。やや遅れて日蓮開創の日蓮宗が生まれた。
明治に入って神仏判然令が誤解されて、復古主義者による廃仏毀釈を持たらした。この間にも仏教の改革を企図するものも現れ、海外の新思想を摂取して近代宗教へ脱皮しようとの動きもみられ、特に仏教研究の進歩は目覚しいが、現在では既成仏教として葬式、法要に終始する保守的態度が強く、むしろ分派的存在である新興宗教に現代仏教の特色をうかがうことができよう。
2、それから、 神道は日本固有の民族的信仰で、日本民族に行なわれる天照大神を中心とする宗教である。日本民族の全生活体験から生まれ育った神道には、仏教の釈迦、キリスト教のイエスに当たる教祖と呼ばれる特定の個人はいないが、『古事記』『日本書紀』などの神典が教典に相当する。
神道は自然崇拝、祖先崇拝、多神崇拝などの日本の民族信仰と、シャマニズムの要素が混じり合って発達したものと思われる。神々は必ずしも祖先とは限らず、山岳、河川、風雨などを神とする神社も多い。山川草木などの自然物までも人間と共にイザナギ、イザナミ二神の生み育てたものとし、神と人間、人間と自然物、自然物と神と言うように関係づけるのは、生みの親であり、子であり、同胞であると言う観念と一致する。神道で神と人間が親子として説かれる観念もここから出発している。神道における神は唯一絶対の神として現れるのでわなく、八百万の神として現れるのである。
神仏習合がさらに進んで、神と仏の関係について本地垂迹説が説かれるようになった。日本の神々には、それぞれ本地仏があり、インドの仏、菩薩が日本に跡を垂れ、権に現れたものが、日本の神々とする説である。こうして、神道と仏教と言う異なる宗教が、決定的な衝突もなく結びつき融け合うことができたのは、ほかの宗教に寛容な仏教の性格と、民族宗教を受けついだ神道の特質によるものとみられる。神社神道は、国民の大半を氏子崇敬者と見なしているが、国民生活との繋がりは、神社の祭りや現世利益が中心で、その影響力は限られている。
3、キリスト教全体の信者数は、国民の一パーセント足らずに過ぎない。このようにキリスト教は、宗教としては小さな勢力に留まっているが、日本社会の近代化、現代化に、大きな思想的、文化的影響を及ぼしている。
4、新宗教は、神道系、仏教系、諸教に分かれ、全体として、活発な行動力を持つ有力な社会勢力となっている。新宗教の中では、法華系が最も有力で、神道系がここに続いている。有力な新宗教は、数十万、数百万の国民を組織しており、その動きは、社会全体に大きな影響を与えている。
まとめ
今日の日本の宗教は、既成仏教、神社神道、キリスト教、新宗教の四つの系統に大きく分けることが出来る。日本社会には、こういう様々な系統の四百をこえる宗教が併存しており、また原始農耕社会に始まる集団の宗教の骨組みを保ち続けている神社神道が存在している。宗教の多元的併存と、儀礼中心の集団の宗教である民族宗教が存続していることは、日本宗教の著しい特徴である。
参考文献:
[1]村上重良 日本の宗教岩波新书 2009,11
[2]梅元猛 世界中的日本宗教四川人民出版社 2006,8
[3]宫家准 日本的民俗宗教南京大学出版社2008,2
作者简介:刘宁(1979-),女,汉族,西安工业大学外语系,研究方向:日本文化及日语语言文化