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【摘要】对“だろう”的推测用法进行分析后发现,“だろう”本身不仅可以表示发话时的推测判断,也可以表示发话前某一时刻的推测判断,且在发话时说话人必须拥有该推测。
【关键词】だろう 推测 发话时
一、引言
(1)あの男はヤクザだ。
一般认为例(1)表示判断,对此,田野村(1990)称例(2)为“推测判断实践句”,例(3)为“知识表明句”,以示区别。
(2)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだ。
(3)(君は知ラナイダロウガ)あの男はヤクザだ。
即例(2)是说话人在发话时进行的判断,“(从其装束判断)那个男人是黑社会”。而例(3)是说话人向听话人表明自己拥有的知识,并非说话时进行的判断,“(你可能不知道)那个男人是黑社会”,故认为“あの男はヤクザだ”表示判断这一观点并不充分。
森山(2000)认为“だろう”后面不能接续“た”等表达,基本上用于独立性高的从句或主句末,表示说话人的现场判断。
(4)×彼は来るだろうた。
与之相对,“かもしれない、に違いない、はずだ、ようだ、らしい”等后面可以接续“た”,如:
(5)彼は来るかもしれなかった。
(6)彼は来るらしかった。
“かもしれない”类可以在现在将来句中表示发话时的判断,若接续“た”,则表示在过去某个时刻的判断,另一方面,“だろう”只能表示说话人在发话时的判断。
但是,“だろう”真的只能表示说话人在发话时的判断吗?笔者对此抱有疑问。
二、“だろう”的判断时刻
上述例(3)是说话人向听话人传达其记忆中保存的知识信息,进一步说,即作为知识保存在记忆中有两种方法,一种是将从其他地方获得的信息,作为自己的知识保存,另一种是将说话人在过去某个时刻做出的判断作为自己的知识保存。
“あの男はヤクザだ。”句可以有三种解释,○1说话人在发话时进行的判断;○2说话人将从别处获得的信息作为自己的知识传达给听话人;○3说话人将自己在过去某个时刻做出的判断传达给听话人。即,既可以是发话时的判断,也可以是过去的判断。
同样,“かもしれない”类和“だろう”类也具有两种推测判断。
(7)彼は来るかもしれない。
(8)彼は来るだろう。
例(7)(8)均可以有两种情况,即发话时的判断和过去某个时刻的判断,在这一点上他们是相同的,不同的是“かもしれない”类后可接续“た”。
“かもしれなかった”表示过去某个时刻的判断,这一判断不能持续到发话时,无从得知发话时说话人是何想法。另一方面“だろう”后不能接续“た”,发话时必定持有该判断,当发话时不具有该判断时,必须接续“と思った”等,如:
(9)東京から仕事の打ち合わせにわざわざ来てくださる人は少ないだろうと思っていました。
可知例(9)中的“だろう”并非说话时进行的判断,而是过去某个时刻进行的判断。
三、表示推测判断的“だろう”
(10)これからまた何日か飛行機待ちするだろう人々の まえを、あっというまに通りすぎた。
(11)それなりの揺動を与えただろうことは期待してもよかろう。
(12)ものを作る人は、買う人が欲しくなるように工夫しているのだろうが、その意図が見えてくると、なんだか欲しくならない。
(13)飯はもう済んだの?若いんだから、いくらでも入るだろう。
(14)とうとう半刻以上待ってしまった。もう梅吉はこないだろうと思った。
例(10)(11)中的“だろう”位于连体修饰成分内,是客观性表达,例(12)中的“だろう”位于ガ从句等独立性高的从句内,例(13)中的“だろう”位于主句句末,如果“だろう”仅表示发话时的判断,则无法解释例(10)(11)这样的句子。
笔者认为,“だろう”应该是说话人在说话时拥有的判断,可以是说话时进行的判断,也可以是过去某个时刻进行的判断,将该判断作为知识保存在记忆中,发话时也认可该判断,保存的知识成为客观信息。
例(10)中,说话人在过去某个时刻推测判断“人们会等几天飞机吧”,将这一推测保存于记忆中,且持续到发话时,发话时将这一判断作为客观信息修饰“人々”,例(11)同样是说话人在发话前进行推测,发话时将其作为客观信息修饰“こと”。
(2)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだ。
(2’)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだが、とてもかっこいい。
例(2)是推测判断实践句,说话人在发话时判断“那个男人是黑社会”,例(2’)中,说话人发话时的判断不是“那个男人是黑社会”,而是“非常有型”,即“那个男人是黑社会”是过去某个时刻的判断,发话时将其作为已知信息提出。
同样,例(12)中,说话人在过去某个时刻推测“制造者为了让人们购买,费劲心思吧”,该推测持续至发话时,作为已知信息传达给听话人。
例(13)可以是发话时的判断,也可以是发话前的判断,但是在发话时说话人拥有该判断,“だろう”不能接续“た”,不能与发话时脱离关系。在表示过去的判断,且发话时不具有该判断时,必须如例(14)那样添加“と思った”等表达。
四、结语
笔者认为“だろう”并不仅仅表示发话时的判断,可以表示说话人在发话时的判断和发话前某一时刻的判断,不过无论是哪一种,在发话时说话人均拥有该判断,与“かもしれない”类不同,“だろう”后不能接续“た”,不能与发话时脱离关系,单纯地表示过去。若要表示过去的判断,且发话时不拥有该判断,则必须后续“と思った”等。
【参考文献】
[1]田野村忠温1990「文における判断をめぐって」『アジアの諸言語と一般言語学』
[2]森山卓郎1992「日本語における「推量」をめぐって」『言語研究』
[3]森山卓郎2000『ここからはじまる日本語文法』ひつじ書房
[4]森本卓郎,仁田義雄,工藤浩2000『日本語の文法3 モダリティ』岩波書店
[5]仁田義雄2009『日本語のモダリティとその周辺』ひつじ書房
【关键词】だろう 推测 发话时
一、引言
(1)あの男はヤクザだ。
一般认为例(1)表示判断,对此,田野村(1990)称例(2)为“推测判断实践句”,例(3)为“知识表明句”,以示区别。
(2)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだ。
(3)(君は知ラナイダロウガ)あの男はヤクザだ。
即例(2)是说话人在发话时进行的判断,“(从其装束判断)那个男人是黑社会”。而例(3)是说话人向听话人表明自己拥有的知识,并非说话时进行的判断,“(你可能不知道)那个男人是黑社会”,故认为“あの男はヤクザだ”表示判断这一观点并不充分。
森山(2000)认为“だろう”后面不能接续“た”等表达,基本上用于独立性高的从句或主句末,表示说话人的现场判断。
(4)×彼は来るだろうた。
与之相对,“かもしれない、に違いない、はずだ、ようだ、らしい”等后面可以接续“た”,如:
(5)彼は来るかもしれなかった。
(6)彼は来るらしかった。
“かもしれない”类可以在现在将来句中表示发话时的判断,若接续“た”,则表示在过去某个时刻的判断,另一方面,“だろう”只能表示说话人在发话时的判断。
但是,“だろう”真的只能表示说话人在发话时的判断吗?笔者对此抱有疑问。
二、“だろう”的判断时刻
上述例(3)是说话人向听话人传达其记忆中保存的知识信息,进一步说,即作为知识保存在记忆中有两种方法,一种是将从其他地方获得的信息,作为自己的知识保存,另一种是将说话人在过去某个时刻做出的判断作为自己的知识保存。
“あの男はヤクザだ。”句可以有三种解释,○1说话人在发话时进行的判断;○2说话人将从别处获得的信息作为自己的知识传达给听话人;○3说话人将自己在过去某个时刻做出的判断传达给听话人。即,既可以是发话时的判断,也可以是过去的判断。
同样,“かもしれない”类和“だろう”类也具有两种推测判断。
(7)彼は来るかもしれない。
(8)彼は来るだろう。
例(7)(8)均可以有两种情况,即发话时的判断和过去某个时刻的判断,在这一点上他们是相同的,不同的是“かもしれない”类后可接续“た”。
“かもしれなかった”表示过去某个时刻的判断,这一判断不能持续到发话时,无从得知发话时说话人是何想法。另一方面“だろう”后不能接续“た”,发话时必定持有该判断,当发话时不具有该判断时,必须接续“と思った”等,如:
(9)東京から仕事の打ち合わせにわざわざ来てくださる人は少ないだろうと思っていました。
可知例(9)中的“だろう”并非说话时进行的判断,而是过去某个时刻进行的判断。
三、表示推测判断的“だろう”
(10)これからまた何日か飛行機待ちするだろう人々の まえを、あっというまに通りすぎた。
(11)それなりの揺動を与えただろうことは期待してもよかろう。
(12)ものを作る人は、買う人が欲しくなるように工夫しているのだろうが、その意図が見えてくると、なんだか欲しくならない。
(13)飯はもう済んだの?若いんだから、いくらでも入るだろう。
(14)とうとう半刻以上待ってしまった。もう梅吉はこないだろうと思った。
例(10)(11)中的“だろう”位于连体修饰成分内,是客观性表达,例(12)中的“だろう”位于ガ从句等独立性高的从句内,例(13)中的“だろう”位于主句句末,如果“だろう”仅表示发话时的判断,则无法解释例(10)(11)这样的句子。
笔者认为,“だろう”应该是说话人在说话时拥有的判断,可以是说话时进行的判断,也可以是过去某个时刻进行的判断,将该判断作为知识保存在记忆中,发话时也认可该判断,保存的知识成为客观信息。
例(10)中,说话人在过去某个时刻推测判断“人们会等几天飞机吧”,将这一推测保存于记忆中,且持续到发话时,发话时将这一判断作为客观信息修饰“人々”,例(11)同样是说话人在发话前进行推测,发话时将其作为客观信息修饰“こと”。
(2)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだ。
(2’)(アノ風体カラスルト)あの男はヤクザだが、とてもかっこいい。
例(2)是推测判断实践句,说话人在发话时判断“那个男人是黑社会”,例(2’)中,说话人发话时的判断不是“那个男人是黑社会”,而是“非常有型”,即“那个男人是黑社会”是过去某个时刻的判断,发话时将其作为已知信息提出。
同样,例(12)中,说话人在过去某个时刻推测“制造者为了让人们购买,费劲心思吧”,该推测持续至发话时,作为已知信息传达给听话人。
例(13)可以是发话时的判断,也可以是发话前的判断,但是在发话时说话人拥有该判断,“だろう”不能接续“た”,不能与发话时脱离关系。在表示过去的判断,且发话时不具有该判断时,必须如例(14)那样添加“と思った”等表达。
四、结语
笔者认为“だろう”并不仅仅表示发话时的判断,可以表示说话人在发话时的判断和发话前某一时刻的判断,不过无论是哪一种,在发话时说话人均拥有该判断,与“かもしれない”类不同,“だろう”后不能接续“た”,不能与发话时脱离关系,单纯地表示过去。若要表示过去的判断,且发话时不拥有该判断,则必须后续“と思った”等。
【参考文献】
[1]田野村忠温1990「文における判断をめぐって」『アジアの諸言語と一般言語学』
[2]森山卓郎1992「日本語における「推量」をめぐって」『言語研究』
[3]森山卓郎2000『ここからはじまる日本語文法』ひつじ書房
[4]森本卓郎,仁田義雄,工藤浩2000『日本語の文法3 モダリティ』岩波書店
[5]仁田義雄2009『日本語のモダリティとその周辺』ひつじ書房