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はじめに:小説『なめとこ山の熊』は、1927年頃(推定)、宮沢賢治30歳ころの作品で、生前に公表されていない。この作品は、速筆でほとんど一息に書き終えたと考えられ、推敲あとがほとんどなく、繰り返し推敲を重ねた宮沢賢治にしては珍しい作品だと考えられる。その表題は当初『なめとこ山の熊の胆』であったとも言われている。
一、なめとこ山の熊と猟師小十郎
『なめとこ山の熊』のストーリーは、全体から見れば主人公の小十郎と熊たちの温かな交情をめぐって展開している。不思議なことに、「なめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。」(注1)
それに対して、熊たちに好かれる小十郎のほうは、「ぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやる」と、「森までががあっと叫んで」、熊は「どたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまう」という腕利きの猟師である。猟師と言っても、小十郎はけっして獲物が熊でさえあれば、何も顧みずに、それを射ち殺す貪欲な人間ではない。この証拠には、小十郎が問答を交わしている熊の親子の睦まじげナ姿を目にしては鉄砲を構える気になれなく、「向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながら」その場を立ち去るというエピソードが描かれている。
その他、撃つのを「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。」「二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから」と頼んだ熊は、その後ちょうど二年目に約束した通りに小十郎の家の前に、「口からいっぱいに血を吐いて倒れていた」ほどに至るのである。雌のツキノワ熊はおおよそ五、六月に交尾をして妊娠する。そして妊娠した雌熊は次の年、冬眠中の一月か二月に、普通オス、メス一つずつ子を生む。それから一年間母子でいわゆる三つ熊として生活をし、そして次の冬、普通は二頭の子とともに同じ穴の中で冬眠する。そしてその間に子は二年子となり、その後その年の六月か七月のころ、「イチゴ別れ」と呼ばれる別れをする。それは、仔熊たちが一心にイチゴを食べている時に、こっそり母熊が去ってゆくことからそう呼ばれるのだという(注2)。「なめとこの山の熊」のこの熊が、雌熊であったのか雄熊であったのか、作品の中ではまったく説明がなされていないが、小十郎がこの熊に出合うのは「ある年の夏」とされていることに注目するならば、この熊が雌熊で、このとき妊娠していたのだとすれば、この熊の「し残した仕事」のための二年間という期間は、腹の中の子らが生まれ、育ち、そして親離れをする「イチゴ別れ」までの二年間のことだとして大変よく説明がつくのだ。長年にわたって猟師の業を続けてきた小十郎には、熊の依頼の言葉に含まれていた意味を理解できない訳がない。すると、熊は「もう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った」。ここでは猟師と獲物の熊とは、互いに強い愛情、信頼感で結ばれていることがつよく感じられる。
小説に描かれた小十郎と熊たちとの関係は、加害者と被害者、すなわち殺す者と殺される者との関係だ。いくら熊たちと小十郎とは心が通じ合っているとしても、いざとなると命をやりとりする敵対関係という実に矛盾をはらんだ関係だ。しかし、この敵対関係は、『注文の多い料理店』に登場するような、都会からやってきてスポーツとして狩猟を楽しんでゆく二人の紳士と山猫とのような対立関係とはだいぶ様子が違っている。小十郎は決して、山猫軒に迷い込んだ二人の若い紳士のように「早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ」とか「鹿の黄色な横っ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ」(注3)とか思って、鉄砲を手にしているわけではない。彼は、飽くまでも「仕方なしに」熊を撃っているのである。なにしろ、「なめとこ山のあたりの熊は小十郎をすきなのだ」、小十郎も熊の気持ちを分かるし、それを憎んで命を奪うわけではないというのだ。
一方、小説において猟師小十郎をあしらうずるい商人の旦那への憎悪の念といったものも描かれている。商人はずるくて、エゴイズムの人間である。彼が小十郎をあしらうことは、熊たちと小十郎との温かな温情とコントラストになった。このコントラストにより、作家は人間世界を風刺して人間世界を改良しようとしたのではないか。しかし、商人が町にすんで熊などに食べられるはずはない。作家自身は自ら商人をある安全な範囲に置くことにした。「こんないやなずるいやつらは、世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく」という言葉の中にも、暴力を否定し、平和的な手段による社会道義の向上を願う宮沢賢治の思想が見られると思われる。
二、熊たちのほうから小十郎への寛容
小十郎が自分の存在が熊によって支えられたという感謝の念を持つので、熊をきらいではないというのは、無理からぬが、自分たちを殺す猟師の小十郎のことを熊は何故「すき」なのか。
それは小十郎が熊を殺害する罪を自覚し、生活のために仕方なしに、謝罪しながら熊を殺しているからだ。同じ猟師といっても、宮沢賢治がここで描いたのは、『注文の多い料理店』に登場するような、スポーツ•ハンターとしての猟師とは違って、山の動物の殺生をもって生活の糧を得ていく職業的な猟師だ。
小十郎は鉄砲で熊を倒したたびに、次のように言った。
熊。おれはてまへを僧くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射たなけあならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。
「小十郎は熊どもは殺してみても決してそれを憎んでゐなかったのだ」という訳で、殺生に罪悪感を抱く。小十郎はほんとうは他の「罪のない仕事」をしたいと考えていた。そして、その罪のある仕事をしなければならない理由を、仏教的な「因果」として説明し、納得している。これは、宮沢賢治が盛岡高等農林農学科に在学中からの仏教信仰によるものだと思われる。
だから、最後、ある熊との対決に破れた小十郎のほうは、死ぬ時に「これが死ぬしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊どもゆるせよ」と自分が殺した熊どもへ謝罪の言葉を残して死んでいく。小十郎を殺した熊のほうからも「おヽ、小十郎おまへを殺すつもりはなかった」と詫びもした。そして、『なめとこ山の熊』の最後のシーンで、猟師小十郎の死骸を、熊たちが、いつまでも動かずに取り囲んでいる場面が描かれてある。
その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。
それは、まるで熊たちが遺族のように、お通夜をし、彼の魂の供養をしているかのようだ。
三、死により罪のある仕事から解放
宮沢賢治は、猟師としての小十郎に死を与えることにした。熊に殺されるのは、熊を射ち殺してきた小十郎にとって、長年犯してきた殺生罪の報いだろう。いや、けっしてそんなはずはないと思われる。殺生罪の報いならば、小十郎が作家から愛され、また熊たちから好かれている意味を無くしてしまうことになる。この死は、作家の慈悲で、小十郎に与えた罪のある仕事から脱出させる道として理解すればよい。
この最後の山行きの日、小十郎の振舞いは朝から普段と異なっていた。この日小十郎は、「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まづ生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するぢゃ」と老いた母に語った。これは、山での殺生をみずから嫌がるということを意味する。猟師として殺生が嫌いになるのは、生の終わりを意味するのか、その他、小十郎には猟師として以外に生き方がないからには、それはみずからの生の終わりを意味するのだ。
この言葉を聞いて、「九十になる小十郎の母はその見えないやうな眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑ふか泣くかするやうな顔つきをした」。母は小十郎の言葉の意味を完全に理解したはずだ。母の「笑うような顔つき」は、わが子が殺生の生を終えることへの喜びだ。
そして、「その死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのやうに冴え冴えして何か笑ってゐるやうにさへ見えた。」小十郎の微笑みは、母の「笑うような顔つき」に浮かぶ微笑みと同じものだと考えられる。罪をおかす人生から解放された安らぎの笑いだろうが、その笑いの中には、自分を殺した熊を決して憎んでいないという許容の表情もあった。生きるために、そして家族を育てるために、依頼していた熊に命を返すのは、つまり恩返しという死に方は、小十郎が願ったとおりの死の形であると解釈されねばならないと思われる。
死による解脱救済ということを微笑みによって表現したことについては、宮沢賢治が仏教の信奉者であっただけに、仏教美術にあらわれた微笑に関心を持っていたかもしれないと憶測が立てられる。
終わりに
この童話における熊と小十郎の関係は、単に人間と自然との間の関係でなく、人間同士の関係の中にも当てはまることだろう。自分の存在が他の人によって支えられているという感謝の念を持つこと、また自分の存在、行為へ罪の自覚そして謝罪の念を持つことにより、相手に謙虚で優しく対することは作家の憧れていた自然と人間、さらには人間同士の理想的関係とも言えよう。これも宮沢賢治の作品の魅力の一つだと思われる。
参考文献:
[1]『校本 宮澤賢治全集』第九巻,筑摩書房,1981年。
[2]猪口邦子ら「大事典ナビックス」株式会社講談社,1997年。
[3]「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社,1997年。
一、なめとこ山の熊と猟師小十郎
『なめとこ山の熊』のストーリーは、全体から見れば主人公の小十郎と熊たちの温かな交情をめぐって展開している。不思議なことに、「なめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。」(注1)
それに対して、熊たちに好かれる小十郎のほうは、「ぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやる」と、「森までががあっと叫んで」、熊は「どたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまう」という腕利きの猟師である。猟師と言っても、小十郎はけっして獲物が熊でさえあれば、何も顧みずに、それを射ち殺す貪欲な人間ではない。この証拠には、小十郎が問答を交わしている熊の親子の睦まじげナ姿を目にしては鉄砲を構える気になれなく、「向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながら」その場を立ち去るというエピソードが描かれている。
その他、撃つのを「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。」「二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから」と頼んだ熊は、その後ちょうど二年目に約束した通りに小十郎の家の前に、「口からいっぱいに血を吐いて倒れていた」ほどに至るのである。雌のツキノワ熊はおおよそ五、六月に交尾をして妊娠する。そして妊娠した雌熊は次の年、冬眠中の一月か二月に、普通オス、メス一つずつ子を生む。それから一年間母子でいわゆる三つ熊として生活をし、そして次の冬、普通は二頭の子とともに同じ穴の中で冬眠する。そしてその間に子は二年子となり、その後その年の六月か七月のころ、「イチゴ別れ」と呼ばれる別れをする。それは、仔熊たちが一心にイチゴを食べている時に、こっそり母熊が去ってゆくことからそう呼ばれるのだという(注2)。「なめとこの山の熊」のこの熊が、雌熊であったのか雄熊であったのか、作品の中ではまったく説明がなされていないが、小十郎がこの熊に出合うのは「ある年の夏」とされていることに注目するならば、この熊が雌熊で、このとき妊娠していたのだとすれば、この熊の「し残した仕事」のための二年間という期間は、腹の中の子らが生まれ、育ち、そして親離れをする「イチゴ別れ」までの二年間のことだとして大変よく説明がつくのだ。長年にわたって猟師の業を続けてきた小十郎には、熊の依頼の言葉に含まれていた意味を理解できない訳がない。すると、熊は「もう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った」。ここでは猟師と獲物の熊とは、互いに強い愛情、信頼感で結ばれていることがつよく感じられる。
小説に描かれた小十郎と熊たちとの関係は、加害者と被害者、すなわち殺す者と殺される者との関係だ。いくら熊たちと小十郎とは心が通じ合っているとしても、いざとなると命をやりとりする敵対関係という実に矛盾をはらんだ関係だ。しかし、この敵対関係は、『注文の多い料理店』に登場するような、都会からやってきてスポーツとして狩猟を楽しんでゆく二人の紳士と山猫とのような対立関係とはだいぶ様子が違っている。小十郎は決して、山猫軒に迷い込んだ二人の若い紳士のように「早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ」とか「鹿の黄色な横っ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ」(注3)とか思って、鉄砲を手にしているわけではない。彼は、飽くまでも「仕方なしに」熊を撃っているのである。なにしろ、「なめとこ山のあたりの熊は小十郎をすきなのだ」、小十郎も熊の気持ちを分かるし、それを憎んで命を奪うわけではないというのだ。
一方、小説において猟師小十郎をあしらうずるい商人の旦那への憎悪の念といったものも描かれている。商人はずるくて、エゴイズムの人間である。彼が小十郎をあしらうことは、熊たちと小十郎との温かな温情とコントラストになった。このコントラストにより、作家は人間世界を風刺して人間世界を改良しようとしたのではないか。しかし、商人が町にすんで熊などに食べられるはずはない。作家自身は自ら商人をある安全な範囲に置くことにした。「こんないやなずるいやつらは、世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく」という言葉の中にも、暴力を否定し、平和的な手段による社会道義の向上を願う宮沢賢治の思想が見られると思われる。
二、熊たちのほうから小十郎への寛容
小十郎が自分の存在が熊によって支えられたという感謝の念を持つので、熊をきらいではないというのは、無理からぬが、自分たちを殺す猟師の小十郎のことを熊は何故「すき」なのか。
それは小十郎が熊を殺害する罪を自覚し、生活のために仕方なしに、謝罪しながら熊を殺しているからだ。同じ猟師といっても、宮沢賢治がここで描いたのは、『注文の多い料理店』に登場するような、スポーツ•ハンターとしての猟師とは違って、山の動物の殺生をもって生活の糧を得ていく職業的な猟師だ。
小十郎は鉄砲で熊を倒したたびに、次のように言った。
熊。おれはてまへを僧くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射たなけあならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。
「小十郎は熊どもは殺してみても決してそれを憎んでゐなかったのだ」という訳で、殺生に罪悪感を抱く。小十郎はほんとうは他の「罪のない仕事」をしたいと考えていた。そして、その罪のある仕事をしなければならない理由を、仏教的な「因果」として説明し、納得している。これは、宮沢賢治が盛岡高等農林農学科に在学中からの仏教信仰によるものだと思われる。
だから、最後、ある熊との対決に破れた小十郎のほうは、死ぬ時に「これが死ぬしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊どもゆるせよ」と自分が殺した熊どもへ謝罪の言葉を残して死んでいく。小十郎を殺した熊のほうからも「おヽ、小十郎おまへを殺すつもりはなかった」と詫びもした。そして、『なめとこ山の熊』の最後のシーンで、猟師小十郎の死骸を、熊たちが、いつまでも動かずに取り囲んでいる場面が描かれてある。
その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。
それは、まるで熊たちが遺族のように、お通夜をし、彼の魂の供養をしているかのようだ。
三、死により罪のある仕事から解放
宮沢賢治は、猟師としての小十郎に死を与えることにした。熊に殺されるのは、熊を射ち殺してきた小十郎にとって、長年犯してきた殺生罪の報いだろう。いや、けっしてそんなはずはないと思われる。殺生罪の報いならば、小十郎が作家から愛され、また熊たちから好かれている意味を無くしてしまうことになる。この死は、作家の慈悲で、小十郎に与えた罪のある仕事から脱出させる道として理解すればよい。
この最後の山行きの日、小十郎の振舞いは朝から普段と異なっていた。この日小十郎は、「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まづ生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するぢゃ」と老いた母に語った。これは、山での殺生をみずから嫌がるということを意味する。猟師として殺生が嫌いになるのは、生の終わりを意味するのか、その他、小十郎には猟師として以外に生き方がないからには、それはみずからの生の終わりを意味するのだ。
この言葉を聞いて、「九十になる小十郎の母はその見えないやうな眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑ふか泣くかするやうな顔つきをした」。母は小十郎の言葉の意味を完全に理解したはずだ。母の「笑うような顔つき」は、わが子が殺生の生を終えることへの喜びだ。
そして、「その死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのやうに冴え冴えして何か笑ってゐるやうにさへ見えた。」小十郎の微笑みは、母の「笑うような顔つき」に浮かぶ微笑みと同じものだと考えられる。罪をおかす人生から解放された安らぎの笑いだろうが、その笑いの中には、自分を殺した熊を決して憎んでいないという許容の表情もあった。生きるために、そして家族を育てるために、依頼していた熊に命を返すのは、つまり恩返しという死に方は、小十郎が願ったとおりの死の形であると解釈されねばならないと思われる。
死による解脱救済ということを微笑みによって表現したことについては、宮沢賢治が仏教の信奉者であっただけに、仏教美術にあらわれた微笑に関心を持っていたかもしれないと憶測が立てられる。
終わりに
この童話における熊と小十郎の関係は、単に人間と自然との間の関係でなく、人間同士の関係の中にも当てはまることだろう。自分の存在が他の人によって支えられているという感謝の念を持つこと、また自分の存在、行為へ罪の自覚そして謝罪の念を持つことにより、相手に謙虚で優しく対することは作家の憧れていた自然と人間、さらには人間同士の理想的関係とも言えよう。これも宮沢賢治の作品の魅力の一つだと思われる。
参考文献:
[1]『校本 宮澤賢治全集』第九巻,筑摩書房,1981年。
[2]猪口邦子ら「大事典ナビックス」株式会社講談社,1997年。
[3]「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社,1997年。