「てやる」の恩恵表現の用法

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  【要旨】授受補助動詞の「てやる」について、これまで、多くの研究者に取り上げられ、様々な観点からの考察がなされているが、その恩恵性が中心概念となっている。本稿は授受補助動詞の「てやる」を考察対象とし、その恩恵性を巡って恩恵表現の意味用法を再分類することに試み、その意味用法の拡大を確認したい。
  【キーワード】てやる、恩恵表現、用法
  1.はじめに
  「てやる」の意味用法に関する先行研究に松下(1928)、鈴木(1972)、豊田(1974)、森田·松木(1989)、由井(1996)、山田(2004)などがある。もっとも初期の研究として、松下(1928)が挙げられる。松下(1928)は、「てやる」を利益態と称し、「利益態とは動詞の一相であって其の作用が或人の利益となることを表すものである。」と指摘する。すなわち、「てやる」は恩恵を表す用語であるとの先見的な観点である。鈴木(1972)、森田·松木(1989)は「てやる」に恩恵を表す用法以外、恩恵を表さない用法もあると提示する。豊田(1974)はこのような不利益な意味が生じる理由を説明しようと試み、由井(1996)、山田(2004)などへ続く。本稿で、「てやる」の恩恵表現用法を取り上げ、それを細分類することに試む。
  2.「てやる」の恩恵表現の分類
  「てやる」の恩恵表現の分類にあたって、まず、「主語」と「二格補語」が有情者か無生物かに着目したい。「主語」が有情者の場合をさらに、「二格補語」が実際に利益を受ける場合と実際に利益を受けない場合と二分に細分類する。また、「二格補語」が無生物の場合は、無生物であるため、「主語」の行う動作·行為によって利益·恩恵を感じることができないと考える。「主語」も「二格補語」も無生物である用例は、それほど多くないが、何例かあるため、それも含めて考察を行う。
  2.1 主語と二格補語が有情者であり、二格補語の人物が主語の人物の動作·
  行為によって実際に利益·恩恵を受ける場合
  「てやる」文は(1)(2)のような、主語の人物が二格補語の人物のために、ある動作·行為を行い、その動作·行為が二格補語の人物に利益·恩恵を与えることを表す場合がある。このような用法は「てやる」の典型的な用法である。
  (1)まず午前中にアメタイから電話があり、行ってみると、アナタノコミュニストトシテノ経験ニツイテ率直ニ語ッテモライタイというのだった。オソラクスベテハ調査ズミダトオモウガ、とぼくはいい、いかにも率直に、かれらの知りたがっていることをしゃべってやった。そしてアンポ以後ぼくがいかにアンタイ·コミュニストで、いかにフリーダムを――このことばを、ぼくは最高の熱意と敬虔さをこめて発音した――愛する人間であったかを強調した。 (倉橋由美子 『聖少女』)
  (2)シゲ子と矢須子は、着たきり雀でいるのだから、シャツや下の物を洗って干すまでどうするかと、ひそひそ相談をはじめていた。川原へ行って身ぐるみ脱いで洗い、渇くまで水泳していればいいのだと教えてやると、二人は手拭を持って出て行った。(井伏鱒二 『黒い雨』)
  用例(1)は主語の人物「ぼく」が二格補語の人物「かれら」に「かれらの知りたがっていること」をしゃべることが二格補語の人物の「かれら」のためであり、二格補語の人物も「しりたがっている」ことを言ってもらったからその動作·行為を利益·恩恵と捉えている。(2)も同様に、「シャツと下の物を洗って干すまでどうするか」と困り、相談していた二格補語の人物の「シゲ子と矢須子」に主語の人物「話し手」が「水泳していればいい」と提議したことが「シゲ子と矢須子」にとって利益·恩恵であることを表す用法である。(2)のような用例の文中に、主語の人物が明示されていないが、主語が話し手であるので、話し手を主語の人物とする。以下、文中に主語の人物が明示されていない場合は、主語が話し手であると見なす。
  2.2 主語と二格補語が有情者であり、二格補語の人物が主語の人物の行う動作·行為によって実際に利益·恩恵を受けない場合
  (3)「へえ、あんたこの田舎のどこがよくて、この上四、五年もいるつもりなんや。ま、ここがええなら、それもええ。じゃ東京からいい嫁はんを連れてきてやるわ」……
  「隆士にいさん、ぼくには結婚する人が決まっています」
  (三浦綾子 『塩狩峠』)
  (4)ぼくは、億劫そうにして身をかがめると、その紙入れを拾いあげて彼女に返してやった。他意ないことを示すためにぼくは、紙入れの一番のはしっこをつまんで、できるだけ身體から離して持ったのだが――しかし、ぼくの近くの者はみなその女までも含めて、やはりぼくを疑っていた。
  (フィッツジェラルド(著)野崎孝(訳) 『グレート·ギャツビー』)
  用例(3)の主語の人物の「話し手」が二格補語の人物の「ぼく」に「嫁はんを紹介する」との動作·行為を行うが、二格補語の「ぼく」が「もうすでに結婚する人が決まっている」ことから話し手の行う動作·行為が二格補語の人物にとって利益·恩恵にならないことが読み取れる。(4)も同様に、主語の人物の「ぼく」が二格補語の人物「彼女」のために「紙入れを拾って返す」動作·行為を行うが、その動作·行為に対し、二格補語の人物「彼女」は主語の人物「ぼく」に「疑う」態度をとる。そのため、主語の人物の行う動作·行為を二格補語の人物が利益·恩恵と捉えていないことがわかる。
  2.3 主語が有情者で二格補語が無生物であり、二格補語の物が主語の人物の動作·行為を利益·恩恵を感じない場合
  このような用法は二格補語の物が無生物であるため、主語の人物の行う動作·行為が自分にとって利益·恩恵であるかどうかを認識できない。   (5)こうして、(マサックル→犬の名前)一晩じゅう、訴えるような、痛ましい声で鳴きつづけていた。そして、ときに一時間ばかり鳴きやんでいるかと思うと、また、これまでよりもいっそう悲痛な声をしぼりあげて鳴いた。そこで家の前の空樽のなかに縛りつけておくことにした。すると窓の下でほえたてた。からだもひどく衰弱していたし、ほとんどもう死にかけていたので、ふたたび台所に入れてやった。
  (モーパッサン(著)新庄嘉章(訳) 『女の一生』)
  (6)茄子は茎だけ潅木のように大きくなり、あまり実はならなかったが、水をかけてやると何回でも花を咲かせた。
  (北杜夫 『楡家の人びと』)
  用例(5)は主語の人物である話し手が「死にかけていたマサックルを家の前の空樽のなかから台所に入れるが、二格補語の物である犬の「マサックル」は動物であるため、その動作·行為を利益·恩恵と感じていると言い難い。(6)も同様で、話し手が二格補語の物である「茄子」に「水をかけることによって、茄子は何回でも花を咲かせたことが、茄子が利益·恩恵と感じているとは言えない。
  2.4 主語と二格補語が無生物であり、主語の物が二格補語の物のために動作·行為を行わず、二格補語の物もその動作·行為を利益·恩恵と感じない場合
  「てやる」の恩恵用法に、(7)(8)のような、主語の物が無生物である場合もある。主語の物が無生物であるために、動作·行為を行うことが想定しにくいし、二格補語の物が無生物であるため、利益·恩恵を感じているとも言い難い。1
  (7)森の中の木蔭が,小さい動物たちを守ってあげているのである。
  (山田(2004))
  (8)煙草はえらいですよ。夏の暑いさかりに芽を摘む時なんか、木と木との間をまるで這い廻るようにしてやるんです。着物のはしにちょっと触れただけでも葉の裂けることがありますからね。(島木健作 『生活の探求』)
  用例(7)(8)は主語の物の「木陰」「煙草」が二格補語の物の「小さい動物たち」「木」のために、動作·行為を行うことが想定しにくい。また、二格補語の物の「小さい動物たち」「木」がその動作·行為を利益·恩恵と考えることもあり得ない。
  3.終わりに
  本稿は、「てやる」の恩恵表現の意味用法を分類した。「てやる」の恩恵表現の分類にあたって、まず、主語と二格補語が有情者か無生物かに著目し、二格補語が有情者の場合をさらに、二格補語が実際に利益を受ける場合と実際に利益を受けない場合とに分類した。また、「二格補語」が無生物の場合は、無生物であるため、「主語」の行う動作·行為によって利益·恩恵を感じることができないと考える。「主語」も「二格補語」も無生物である用例も含めて考察した。今後の課題として、「てやる」の非恩恵表現、そして、「てくれる·てもらう」の恩恵表現や非恩恵表現について研究に取り組みたい。
  参考文献:
  [1]井島正博(1997)「授受動詞文の多層分析」『成蹊大学文学部紀要』32.
  [2]伊藤博美(2010)「授受構文における受益と恩恵および丁寧さ―「てくれる」文と「てもらう」文を中心として―」『日本学論集』6.
  [3]大江三郎(1975)『日英語の比較研究―主観性をめぐって』南雲堂.
  [4]岡田久美(1997)「授受動詞の使用状況の分析―視点表現における問題点の考察」 『平成9年度日本語教育学会春季大会予稿集』.
  [5]奥津敬一郎(1983)「授受表現の対照研究―日·朝·中·英の比較」『日本語学』2巻4号 明治書院.
  [6]奥津敬一郎(1984)「授受動詞文の構造―日本語·中国語対照研究の試み―」『金田一春彦博士古希記念論文集 第二巻き言語学編』三省堂.
  [7]奥津敬一郎(1986)「やりもらい動詞」 『国文学 解釈と鑑賞』51巻1号.
  [8]紙谷栄治(1975) 「補助動詞「やる·もらう·くれる」について」『待兼山論叢』8.
  [9]久野 瞕(1978) 『談話の文法』大修館書店.
  [10]古川俊雄(1995) 「授受動詞「くれる」「やる」の史的変遷」『広島大学教育学部紀要』44.
  [11]古川俊雄(1996) 「通時的観点から見た現代日本語における「てくれる」の特殊用法」 『広島大学日本語学部教育学科紀要』6.
  作者简介:高乌兰(1981-),女,内蒙古自治区通辽市科尔沁左翼中旗人,文学硕士。2002年赴日留学,毕业于大阪市立大学文学研究科日本语言文学专业,获文学硕士学位。自2014年起在呼和浩特民族学院外语系日语专业担任日语专职教师。2015年参与省部级课题《内蒙古民族文化建设研究工程翻译系列项目》;2016年参与省部级课题《全国大中专院校蒙古文教材 日语读解 第三册》的编写工作。职称:助教研究方向:日本语言学;日语教学。
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