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【要旨】:日本慶応三年の八月ごろから翌年の初めにかけて、「ええじゃないか」はお札参りをきっかけとして、忽然と発生し、全国を巻き込んだ、民衆たちによるある種の「お祭り騒ぎ」のことである(池田,2011)。その民衆運動で民衆たちは「ええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら、踊り狂ったりしていた。では、なぜ民衆は「ええじゃないか」と叫ぶのか、この語に秘められた特別な意義がなんであろうか。この疑いを抱いて、本文では、「ええじゃないか」の紹介から、その背景の発掘を通じて、その背後に秘められた日本の民衆の意識を検討する。最後はこの「ええじゃないか」の表と裏の二つの面から日本人の性格を分析していきたい。
【キーワード】:ええじゃないか、日本人、意識
一、「ええじゃないか」事件
慶応三年の八月ごろから翌年の初めにかけて、老若男女を問わず、多勢の民衆が「ええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら、奇体な服装で踊り狂い、街中を練り歩き、神社へ参ったり、富裕な町家へ押しかけたりして祝儀や饗応を強要し、熱に浮かされたようにお祭り騒ぎを演じている。そして、この奇妙な「民衆運動」が東海地方から江戸、また大阪、四国にわたって巻き起こっている。
二、その背景
(一)社寺の御札が降ったこと
どの地方でも、まず、天から御札が降り、御札が降った家ではそれを瑞徴として祭り、祝いの宴を開き、やがて祝宴が祭り騒ぎに発展して、一村、あるいは一町全体を巻き込んだ乱舞となる。そして、人々は申し合わせたように「ええじゃないか、ええじゃないか」を連合して陶酔状態に陥ってゆくという経過をたどった。
(二)斎藤月岑の『武江年表』によると、それに先立つ慶応二年の五月二十八日の夜、何者かが南品川の稲荷神社の太鼓を持ち出して打ち鳴らすと、どこからともなく群衆が現れ、町内の油屋を打ち壊し、その騒ぎは次第に広まって江戸市中の広い範囲に及び、ついに一揆の様相を帯びるに至っているということがあった。
(三)「ええじゃないか」発生の前年は全国的に凶作となり、米価が上昇していた。また開国により、日本は欧米諸国と貿易を行っていたが、日本の輸出超過となっており、それに伴い物価が上昇していた。従って、その激しいインフレーションは民衆たちの生活を圧迫していた(池田,2011)。
(四)慶応三年十月、将軍徳川慶喜が「大政奉還」して、徳川幕府は倒れ、そして、朝廷が王政復古宣言をして、慶応四年新政府が樹立した。
(五)「おかげまいり」との関係
「おかげまいり」とは、「神異や奇瑞を発端とした伊勢神宮への群参のこと(高木1979―215-216)」であり、江戸時代を通じて周期的に発生している。「ええじゃないか」と「おかげまいり」は同一のもの、あるいは、「ええじゃないか」は「おかげまいり」の変形であるとされてきた。
三、「ええじゃないか」から見る日本の民衆の意識
(一)この上方と東国の中間地点で使われている表現には(「政治のことなど、どうでもええじゃないか」「幕府でも朝廷でもどちらでもええじゃないか」)(藤谷俊雄,1968)という自棄的な意味が含まれていた。
(二)しかし、その自棄的な心理には、同時に、「自分たちがやることのどこが悪い!」という強烈な自己主張が込められていた。従って、日本人の心の中には、その両極性が特に顕著に見られるようにと思う。そして、この「ええじゃないか」は何よりこれを雄弁に語っている。
(三)「ええじゃないか」と世直し意識
慶応三年という世直し状況昂揚期に「ええじゃないか」が発生したことから、「ええじゃないか」は世直しとの関連で取り上げられてきた。鹿野政直(1969)によれば、世直しの観念はほぼ三つの意味をもっていた。その第一は社会一変への期待であって、世直しの本質的な属性である。第二は陽気への願望であり、第三はいわば太平への願望である。また、ひろた(1987)によれば、この「ええじゃないか」という騒動に世直し観念が噴出し、熱狂的な踊りの中で既成の秩序と価値を転倒させた解放世界が作り出され、太平·豊穣·和合等等の民衆的願望が歌われた。それら諸願望は世直し騒動と基本的に共通するものであったが、そこにはなんの目的意識も闘争組織も規律も見られず、神威を介して欲望の放恣な瞬時的充足を図ろうとするオルギー的状況が見られた。
四、「ええじゃないか」の表と裏
(一)表
「ええじゃないか」という言葉は上方と東國との混合である。上方の言葉なら「ええやないか」だろうし、東国の言葉なら「いいじゃないか」となるはずである。従って、「ええじゃないか」という表現自体、この不思議な現象が上方と東国の中間地点でおこったらしいことを暗示している。また、この民衆運動では、「ええじゃないか」は民衆のスローガンになったものである。
(二)裏
日本人の意識はイエスとノーとの中間に位置している。あるときには強烈な自己主張の表現となり、ほかの場合には反対に、消極的、虚無的な自己放棄の独白となる。それは明らかに自己矛盾である。しかしながら、日本の民衆は、そこに自由、すなわち矛盾する自由をひそかに確保し続けてきたのである。
参考文献:
[1]高木俊輔.ええじゃないか[M].教育社.1979,215-216.
[2]池田勝.時代の転換期における民衆たちの笑いについて[J].愛知県立大学大学院国際文化研究科論集第12号,2011.
[3]藤谷俊雄.「おかげ参り」と「ええじゃないか」[M].岩波書店.1968.
[4]渡辺良智.「ええじゃないか」の民衆運[J].Aoyama Gakuin Women’s Junior College.
[5]鹿野政直.資本主義形成期の秩序意識[M].築摩書房.1969,160-161.
[6]ひろたまさき.『世直し』に見る民衆の世界像『日本の社会史』[M].岩波書店.1987,278-279.
[7]森本哲郎.日本語表と裏[M].新潮社版.1988,155-162.
【キーワード】:ええじゃないか、日本人、意識
一、「ええじゃないか」事件
慶応三年の八月ごろから翌年の初めにかけて、老若男女を問わず、多勢の民衆が「ええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら、奇体な服装で踊り狂い、街中を練り歩き、神社へ参ったり、富裕な町家へ押しかけたりして祝儀や饗応を強要し、熱に浮かされたようにお祭り騒ぎを演じている。そして、この奇妙な「民衆運動」が東海地方から江戸、また大阪、四国にわたって巻き起こっている。
二、その背景
(一)社寺の御札が降ったこと
どの地方でも、まず、天から御札が降り、御札が降った家ではそれを瑞徴として祭り、祝いの宴を開き、やがて祝宴が祭り騒ぎに発展して、一村、あるいは一町全体を巻き込んだ乱舞となる。そして、人々は申し合わせたように「ええじゃないか、ええじゃないか」を連合して陶酔状態に陥ってゆくという経過をたどった。
(二)斎藤月岑の『武江年表』によると、それに先立つ慶応二年の五月二十八日の夜、何者かが南品川の稲荷神社の太鼓を持ち出して打ち鳴らすと、どこからともなく群衆が現れ、町内の油屋を打ち壊し、その騒ぎは次第に広まって江戸市中の広い範囲に及び、ついに一揆の様相を帯びるに至っているということがあった。
(三)「ええじゃないか」発生の前年は全国的に凶作となり、米価が上昇していた。また開国により、日本は欧米諸国と貿易を行っていたが、日本の輸出超過となっており、それに伴い物価が上昇していた。従って、その激しいインフレーションは民衆たちの生活を圧迫していた(池田,2011)。
(四)慶応三年十月、将軍徳川慶喜が「大政奉還」して、徳川幕府は倒れ、そして、朝廷が王政復古宣言をして、慶応四年新政府が樹立した。
(五)「おかげまいり」との関係
「おかげまいり」とは、「神異や奇瑞を発端とした伊勢神宮への群参のこと(高木1979―215-216)」であり、江戸時代を通じて周期的に発生している。「ええじゃないか」と「おかげまいり」は同一のもの、あるいは、「ええじゃないか」は「おかげまいり」の変形であるとされてきた。
三、「ええじゃないか」から見る日本の民衆の意識
(一)この上方と東国の中間地点で使われている表現には(「政治のことなど、どうでもええじゃないか」「幕府でも朝廷でもどちらでもええじゃないか」)(藤谷俊雄,1968)という自棄的な意味が含まれていた。
(二)しかし、その自棄的な心理には、同時に、「自分たちがやることのどこが悪い!」という強烈な自己主張が込められていた。従って、日本人の心の中には、その両極性が特に顕著に見られるようにと思う。そして、この「ええじゃないか」は何よりこれを雄弁に語っている。
(三)「ええじゃないか」と世直し意識
慶応三年という世直し状況昂揚期に「ええじゃないか」が発生したことから、「ええじゃないか」は世直しとの関連で取り上げられてきた。鹿野政直(1969)によれば、世直しの観念はほぼ三つの意味をもっていた。その第一は社会一変への期待であって、世直しの本質的な属性である。第二は陽気への願望であり、第三はいわば太平への願望である。また、ひろた(1987)によれば、この「ええじゃないか」という騒動に世直し観念が噴出し、熱狂的な踊りの中で既成の秩序と価値を転倒させた解放世界が作り出され、太平·豊穣·和合等等の民衆的願望が歌われた。それら諸願望は世直し騒動と基本的に共通するものであったが、そこにはなんの目的意識も闘争組織も規律も見られず、神威を介して欲望の放恣な瞬時的充足を図ろうとするオルギー的状況が見られた。
四、「ええじゃないか」の表と裏
(一)表
「ええじゃないか」という言葉は上方と東國との混合である。上方の言葉なら「ええやないか」だろうし、東国の言葉なら「いいじゃないか」となるはずである。従って、「ええじゃないか」という表現自体、この不思議な現象が上方と東国の中間地点でおこったらしいことを暗示している。また、この民衆運動では、「ええじゃないか」は民衆のスローガンになったものである。
(二)裏
日本人の意識はイエスとノーとの中間に位置している。あるときには強烈な自己主張の表現となり、ほかの場合には反対に、消極的、虚無的な自己放棄の独白となる。それは明らかに自己矛盾である。しかしながら、日本の民衆は、そこに自由、すなわち矛盾する自由をひそかに確保し続けてきたのである。
参考文献:
[1]高木俊輔.ええじゃないか[M].教育社.1979,215-216.
[2]池田勝.時代の転換期における民衆たちの笑いについて[J].愛知県立大学大学院国際文化研究科論集第12号,2011.
[3]藤谷俊雄.「おかげ参り」と「ええじゃないか」[M].岩波書店.1968.
[4]渡辺良智.「ええじゃないか」の民衆運[J].Aoyama Gakuin Women’s Junior College.
[5]鹿野政直.資本主義形成期の秩序意識[M].築摩書房.1969,160-161.
[6]ひろたまさき.『世直し』に見る民衆の世界像『日本の社会史』[M].岩波書店.1987,278-279.
[7]森本哲郎.日本語表と裏[M].新潮社版.1988,155-162.