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【摘要】:日本語の中で副詞がたくさんある。特に程度を表す副詞もかなりある。本文ではその中の「なかなか」について具体的に例文を上げて、一つずつ分析していきたいと考えられている。『新明解』によると、その性質、状態が予期していた以上で、その人の印象に残るものがあることを表す、と解釈されている。しかしながら、実例として使う場合にはいろいろ特別な例も出てくるはずである。本文はまず語彙的制約から検討して、また評価的条件も分析する。最後はその構文的展開にめぐって分析するつもりである。
キーワード:なかなか、副詞、語彙的、評価的、構文的
一、語彙的制約の検討
(1)○吉田:陳さん、日本の焼き餃子のお味はいかがですか。
陳:餃子はやはり中國の餃子が一番だと思っていましたが、日本の焼き餃子もなかなか美味しいですね。
吉田:そうでしょう.この店の餃子は日本でも有名ですから。
○この本はなかなか面白いですよ。
×昨日、なかなか長い距離を歩いたので、疲れました。
×今度の日本語能力試験1級の成績はなかなか悪いです。
以上の四つの例文から見て、前の二つの例文では形容詞は積極的な意味で、いい評価を表している。これに対して、後の二つの例文では、疲れたとか、悪いとかあまり良くない評価があり、間違った例文である。従って、「なかなか」は実際の結果が期待や予想した以上の場合で、良いことをあわわすために多く使われる。「なかなか悪い」、「なかなか弱い」のような消極的な評価では使えない。
(2)○薬をちゃんと飲んでいるのに、病気がなかなか治らない。
○バスがなかなか来ない。
以上の二つの例文は「なかなか…ない」という形式でその動詞の表す事柄の実現にはまだかなりの時間がかかるという意味を表している。その動作の実現は予想以上に難しい。しかし、「なかなか」の後に直接肯定的の動詞を接続することはできない。例えば、
×李さんは日本語がとても上手です。馬さんはまだまだですが、なかなか話せるようになりました。
この例文では「なかなか」を使うのはできないが、「なかなか」と意味近い「だいぶ、ずいぶん、かなり」は使える。これは「なかなか」は多くの場合で主観的な評価を表すために使うわけである。「だいぶ」を使うと、この例文は馬さんは李さんのように日本語がそんなに上手ではないが、大きな進歩があって、そしてもっと高いレベルに向上する空間があるという語感がある。言い換えれば、「だいぶ」を使う文は変化が現れている。「ずいぶん」を使うと、話し手が馬さんの日本語の向上に対して驚いていて、感心しているという個人的な感情を含めている。「かなり」を使うと、ただ客観的に馬さんは李さんのようにそんなに日本語が上手ではないが、ある程度のレベルにも達したという陳述を表している。従って、この例文ではいい評価や悪い評価などないだから、「なかなか」は使えない。
しかしながら、「なかなか」の後に動詞をつける状況もある。例えば、
○なかなか準備するそうだね。
○なかなか集まりましたね。
この二つの例文では、「なかなか」の後ろに直接動詞がついているのに、実は動詞の前に「よく」、「たくさん」が省略したと思っている。ある試合のために、朝から夜までずっと練習していて、なかなか(よく)準備するそうだねと言えるのではないだろうか。また、ある日、学校のキャンパスでたくさんの人が活動などを参加するために集まっている。この時もなかなか(たくさん)集まりましたねと言えるだろう。従って、このような場合では、「なかなか」の後ろに直接動詞がついているとはいえ、実は、その動作の程度を修飾しているだけである。
(3)○彼はなかなかの勉強家だ。
○西安はなかなかの大都市だな。
×彼はなかなかの学生だ。
×西安はなかなかの都市だ。
この四つの例文では、なかなかの後ろに名詞がついている。しかしながら、前の二つは正しい、後の二つは間違っている。比べてみれば、「勉強家」は「学生」よりもっと勉強熱心な人で、「大都市」は「都市」よりもっと大きいまち、みんなに知られているところである。つまり、「勉強家」は「学生」より、「大都市」は「都市」より特色があり、一般と違うところがある。従って、「なかなか」の後に名詞をつける場合は、必ずその一般より特別なところがあるものをするわけである。
以上の分析で、「なかなか」と接続できる品詞は、積極的な評価を持つ形容詞と一般より特色ある名詞、そして動詞の否定形である。
二、評価的条件の検討
(1)と(3)種類の例文では、「なかなか」と接続するのは全部いい評価で、そして主観的な考えである。また、多くの場合は話し手が予想した以上で意外な気持ちが含んでいる。動詞を接続する場合は、普通は否定の形式で、その物事を実現するのは簡単なことではない、というように使えている。まとめていうと、「なかなか」は主観的、積極的な評価を表す場合で使うのが普通である。
三、構文的展開の検討
(1)条件表現の例文分析
(Ⅰ)日本で3年間をかけて勉強してきたから、日本語がなかなか上手ですね。(順接)
(Ⅱ)日本で3年間をかけて勉強しましたが/のに、なかなか話せない。(逆接)
(Ⅲ)日本でただ3年間をかけて勉強しましたが/のに、なかなか上手ですね。(逆接)
この三つの例文から分析すると、(Ⅰ)は順接で、積極的な評価を示した。(Ⅱ)は逆接で、日本で長い時間をかけて、ちゃんと日本語を勉強してきたが、話せるのはあまり上手ではない。(Ⅲ)も逆接であるが、日本で勉強する時間がとても短いが、日本語が意外に上手であるということを表している。従って、(Ⅰ)の順接と(Ⅲ)の逆接は事柄に対して積極的、主観的の評価を表す。(Ⅱ)の逆接は物事は想像するように簡単に実現できることではないということを表す。
(2)そのほかの例文分析
a、○なかなか美味しいです。(現在)
b、○なかなか上手になりましたね。(過去)
c、×なかなか上手になりたい。(希望)
d、×なかなか美味しいですか。(疑問)
e、×なかなか美味しそうですね。(様態)
f、×なかなか美味しいだろう。(推量)
g、×なかなか上手にしなさい。(命令)
以上の例文から分析すると、「なかなか」は希望、疑問、様態、推量、命令などの文では使えない。しかしながら、現在や過去を表す文では使える。そして前の例文を合わせて、肯定と否定の文にも使える。
以上の三つの部分から分析して、「なかなか」は形容詞と名詞と動詞の否定形と接続できて、程度を表す副詞として、意外と予想以上の結果、そして積極的な評価と予想通りに簡単に実現できないことを表す。また、順接と逆接両方の場合に使える。しかしながら、希望や疑問や命令などの文では使えない。
参考文献:
[1]汪士忠.“かなり、ずいぶん、だいぶ、なかなか”的含义辨析[J].人文社会科学,P115-116.
[2]于兵.论「ずいぶん」「だいぶ」「なかなか」「相当」「かなり」在使用上的异同[J].P40.
[3]赵宏.谈なかなか的词义演变[J].解放军外国语学院学报.第34卷第5期,P41.
[4]徐一平.副词[M].外语教学与研究出版社.P158,P178.
キーワード:なかなか、副詞、語彙的、評価的、構文的
一、語彙的制約の検討
(1)○吉田:陳さん、日本の焼き餃子のお味はいかがですか。
陳:餃子はやはり中國の餃子が一番だと思っていましたが、日本の焼き餃子もなかなか美味しいですね。
吉田:そうでしょう.この店の餃子は日本でも有名ですから。
○この本はなかなか面白いですよ。
×昨日、なかなか長い距離を歩いたので、疲れました。
×今度の日本語能力試験1級の成績はなかなか悪いです。
以上の四つの例文から見て、前の二つの例文では形容詞は積極的な意味で、いい評価を表している。これに対して、後の二つの例文では、疲れたとか、悪いとかあまり良くない評価があり、間違った例文である。従って、「なかなか」は実際の結果が期待や予想した以上の場合で、良いことをあわわすために多く使われる。「なかなか悪い」、「なかなか弱い」のような消極的な評価では使えない。
(2)○薬をちゃんと飲んでいるのに、病気がなかなか治らない。
○バスがなかなか来ない。
以上の二つの例文は「なかなか…ない」という形式でその動詞の表す事柄の実現にはまだかなりの時間がかかるという意味を表している。その動作の実現は予想以上に難しい。しかし、「なかなか」の後に直接肯定的の動詞を接続することはできない。例えば、
×李さんは日本語がとても上手です。馬さんはまだまだですが、なかなか話せるようになりました。
この例文では「なかなか」を使うのはできないが、「なかなか」と意味近い「だいぶ、ずいぶん、かなり」は使える。これは「なかなか」は多くの場合で主観的な評価を表すために使うわけである。「だいぶ」を使うと、この例文は馬さんは李さんのように日本語がそんなに上手ではないが、大きな進歩があって、そしてもっと高いレベルに向上する空間があるという語感がある。言い換えれば、「だいぶ」を使う文は変化が現れている。「ずいぶん」を使うと、話し手が馬さんの日本語の向上に対して驚いていて、感心しているという個人的な感情を含めている。「かなり」を使うと、ただ客観的に馬さんは李さんのようにそんなに日本語が上手ではないが、ある程度のレベルにも達したという陳述を表している。従って、この例文ではいい評価や悪い評価などないだから、「なかなか」は使えない。
しかしながら、「なかなか」の後に動詞をつける状況もある。例えば、
○なかなか準備するそうだね。
○なかなか集まりましたね。
この二つの例文では、「なかなか」の後ろに直接動詞がついているのに、実は動詞の前に「よく」、「たくさん」が省略したと思っている。ある試合のために、朝から夜までずっと練習していて、なかなか(よく)準備するそうだねと言えるのではないだろうか。また、ある日、学校のキャンパスでたくさんの人が活動などを参加するために集まっている。この時もなかなか(たくさん)集まりましたねと言えるだろう。従って、このような場合では、「なかなか」の後ろに直接動詞がついているとはいえ、実は、その動作の程度を修飾しているだけである。
(3)○彼はなかなかの勉強家だ。
○西安はなかなかの大都市だな。
×彼はなかなかの学生だ。
×西安はなかなかの都市だ。
この四つの例文では、なかなかの後ろに名詞がついている。しかしながら、前の二つは正しい、後の二つは間違っている。比べてみれば、「勉強家」は「学生」よりもっと勉強熱心な人で、「大都市」は「都市」よりもっと大きいまち、みんなに知られているところである。つまり、「勉強家」は「学生」より、「大都市」は「都市」より特色があり、一般と違うところがある。従って、「なかなか」の後に名詞をつける場合は、必ずその一般より特別なところがあるものをするわけである。
以上の分析で、「なかなか」と接続できる品詞は、積極的な評価を持つ形容詞と一般より特色ある名詞、そして動詞の否定形である。
二、評価的条件の検討
(1)と(3)種類の例文では、「なかなか」と接続するのは全部いい評価で、そして主観的な考えである。また、多くの場合は話し手が予想した以上で意外な気持ちが含んでいる。動詞を接続する場合は、普通は否定の形式で、その物事を実現するのは簡単なことではない、というように使えている。まとめていうと、「なかなか」は主観的、積極的な評価を表す場合で使うのが普通である。
三、構文的展開の検討
(1)条件表現の例文分析
(Ⅰ)日本で3年間をかけて勉強してきたから、日本語がなかなか上手ですね。(順接)
(Ⅱ)日本で3年間をかけて勉強しましたが/のに、なかなか話せない。(逆接)
(Ⅲ)日本でただ3年間をかけて勉強しましたが/のに、なかなか上手ですね。(逆接)
この三つの例文から分析すると、(Ⅰ)は順接で、積極的な評価を示した。(Ⅱ)は逆接で、日本で長い時間をかけて、ちゃんと日本語を勉強してきたが、話せるのはあまり上手ではない。(Ⅲ)も逆接であるが、日本で勉強する時間がとても短いが、日本語が意外に上手であるということを表している。従って、(Ⅰ)の順接と(Ⅲ)の逆接は事柄に対して積極的、主観的の評価を表す。(Ⅱ)の逆接は物事は想像するように簡単に実現できることではないということを表す。
(2)そのほかの例文分析
a、○なかなか美味しいです。(現在)
b、○なかなか上手になりましたね。(過去)
c、×なかなか上手になりたい。(希望)
d、×なかなか美味しいですか。(疑問)
e、×なかなか美味しそうですね。(様態)
f、×なかなか美味しいだろう。(推量)
g、×なかなか上手にしなさい。(命令)
以上の例文から分析すると、「なかなか」は希望、疑問、様態、推量、命令などの文では使えない。しかしながら、現在や過去を表す文では使える。そして前の例文を合わせて、肯定と否定の文にも使える。
以上の三つの部分から分析して、「なかなか」は形容詞と名詞と動詞の否定形と接続できて、程度を表す副詞として、意外と予想以上の結果、そして積極的な評価と予想通りに簡単に実現できないことを表す。また、順接と逆接両方の場合に使える。しかしながら、希望や疑問や命令などの文では使えない。
参考文献:
[1]汪士忠.“かなり、ずいぶん、だいぶ、なかなか”的含义辨析[J].人文社会科学,P115-116.
[2]于兵.论「ずいぶん」「だいぶ」「なかなか」「相当」「かなり」在使用上的异同[J].P40.
[3]赵宏.谈なかなか的词义演变[J].解放军外国语学院学报.第34卷第5期,P41.
[4]徐一平.副词[M].外语教学与研究出版社.P158,P178.